アメリカの「白人」は国籍が多様だったのにどうやって一つの人種になれたの?【海外の反応】

・ アメリカの「白人」は色んな国籍の人たちがいたのに、どうやって一つの人種になれたんだい?

自分が若い頃はポーランド系/ドイツ系/イタリア系/東ヨーロッパ系アメリカ人みたいな区別があったけど、今では全員「白人」になっているよね?いつどうしてこうなったんだい?

・ これは素晴らしい質問だけど、社会学的な話しになるからもし自分の回答が狭義だとしたら謝っておくよ。

歴史家のLinda Gordonが書いた「The Great Arizona Orphan Abduction」っていう素晴らしい歴史研究書を元に簡単な要約をコメントするよ。

要約すると、ゴードンは復興期のアメリカ西部拡大にかけて(19世紀後半から20世紀初頭)、「白人」と「その他」という人種的概念が作られたという議論を展開しているね。

本の中では1904年にニューヨークからアリゾナに送られた孤児についての話が載っていて、こういった孤児、クラシックな見方をするならストリートの悪ガキはカトリックが経営する施設で暮らし、教育を受け、食べ物を与えられていたんだ。

孤児たちにはイタリア人、アイルランド人、オランダ人、ドイツ人、ロシア人etcがいて、多くの場合家族や文化的背景を失っていた。

そしてここからが面白くなるんだけど、ニューヨークシティーではこういった子供たちは色々な理由で望ましくない存在だと思われていたんだよ。人種的な問題も少なくない内を占めるね。

だからカトリックの慈善団体は誰も孤児を養子にしてくれない(文字通り誰もね…)から、自分たちで世話をするしかなかったんだ。

それで慈善団体は孤児を綺麗にしてから、西部に送るというアイデアを思いついたんだよ。西部には敬虔なカトリックの家庭があって孤児を養子にしてくれたんだ。

こうして孤児たちは西への旅の途中で子供を失った家庭の養子になって幸せに暮らしたり、あるいはより厳しい条件の下で暮らしたりしたというわけなんだ。

ゴードンの本では1904年にClifton/Morenci(2つの街が組み合わさった街だから両方の名前で呼ばれていたんだ)っていうアリゾナ鉱山町に送られた子供たちについて詳細に書いている。

そこには数多くの寛容なメキシコ人家庭があって多くの尊敬できる理由で子供を養子に取ったんだよ。(自分の子供達を無くしたとか、これがクリスチャンとしての義務だとかね)

加えて言っておくとすれば、こういった子供たちは適当に養子にされたのではなく、ちゃんとした組織を通して養子になったということだね。

Clifton/Morenciの白人の家庭は、子供たちが街にくるまで養子を取ることにほとんど興味を示さなかったんだ。でも実際に子供たちが来ると状況が変わった。白人の子供が列車に乗せられてメキシコ人の家庭に住むことになるのを見て、彼らはめちゃくちゃ怒ったのさ。

集団暴行みたいな形で、武装した白人たちが家から家へと周り、メキシコ人の家から白人の子供を連れて行ったんだ。時には銃口で牧師や修道女を脅して、「白人」の子供が送られた家庭全ての名前を要求することもあったんだよ。

悲しいことに裁判所はこの行動を完全に合法で正当なものと認めたんだ。裁判所によると、こうした白人の大人達は子供のために行動したということなのさ。

イエス、裁判所は武装した白人の暴徒が子供を攫うことを正当と見なしたのさ。なぜならメキシコ人が白人の子供を拘束することは極めて危険な行いであり、武装して拉致することが解決方法になるからだよ。

ゴードンはこの事件を例に人種という概念がいかに柔軟性があるかを示している。そして19世紀/20世紀のアメリカで人種の概念が捻じ曲げられ再形成されたことを示しているんだ。

ニューヨークではこういった子供たちはアイルランド人、ドイツ人、イタリア人etcだったけど、西部にいくとメキシコ人/ネイティブアメリカン/中国人の脅威を受けている「白人」になったのさ。

つまりアメリカでは、ヨーロッパから機会を求めてやって来た入植達を守る概念として白人というカテゴリが発達したんだ。西部ではメキシコ人/ネイティブ/中国人でないなら国籍は重要ではなかったのさ。

これはゴードンの研究を単純化したものだけど、「The Great Arizona Orphan Abduction」の基本的な話であるし、この題材について深く知るための入門としては良い話だと思うよ。

・↑ その裁判の後に子供たちはどうなったんだい?

また孤児に戻ってなければいいけど。誰かが養子にしたのかい?

・↑ 確か本では彼らは子供を誘拐した家庭で育てられたと書かれていたよ。

最高裁判所に至るまで控訴は続いたけど、最終的に白人の家庭が子供達を育てることになったんだ。

・↑ 学校のカリキュラムがどれだけ意図的なものなのかよく分かるね。

・↑ それよりもっともっと早くベイコンの反乱で「白人 vs 黒人」という精神性が出来上がったと思うよ。これでアイルランド人の年季奉公者(一定期間住み込みで強制労働させられる労働契約。実質奴隷に近く虐待が蔓延したので今は禁止されている)も白人として認められたんだ。

・ 植民地時代前のヨーロッパでは白さや黒さっていうのは曖昧な概念で、イギリス人からするとスペイン人は黒人みたいな感じだったんだ。

しかし、植民地化が行われる過程において、「白さ」という概念が「黒さ」という概念の対極として登場したと言えると思うね。

だからアメリカ憲法を執筆する段階で既に、白人は黒人やネイティブが持つことが出来ない権利を持つことが可能だったんだよ。

ソース

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